【1964年 東京オリンピックと冷凍食品の歴史】歴史から紐解く冷凍食品のエポックメイキング
今回は冷凍食品エフエフプレス編集長、冷凍食品ジャーナリスト 山本 純子さんをお呼びし、東京オリンピックと冷凍食品の歴史について語ります!
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昨年2021年に2020東京オリンピックが開催し、選手村で味の素冷凍食品の冷凍餃子が提供され、各国の選手に大好評だったのはご存知でしょうか?
実は1964年に開催された東京オリンピックでも、「冷凍食品がなければ、東京オリンピックの成功はなかった」と言われております。 冷凍食品の歴史の中でも一二を争う重要なエポックメイキングでした。 (※エポックメイキング・・・それまでの時代とは違う特色を持つ新時代のこと)
前回は冷凍食品の歴史100周年記念企画として、冷凍食品の歴史を詳しくご紹介しましたが、 今回は東京オリンピックと冷凍食品の関わりについて深掘りしていきたいと思います。
ぜひ前回の動画と合わせてご覧ください!
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1964年の時代背景
東京オリンピック開催が決まった1964年は、敗戦で焼け野原になった時代からまだ19年しか経っていない頃でした。 本当に日本で東京オリンピックが開催されるのか?という状況でしたが、世界に向けて復興のアピールをする重要な大会でした。
1万規模の人が集まるということもあり、課題として挙げられたのが『1万人の食事をどのように用意するのか?』ということでした。そこで思いついたのが、冷凍食品の活用だったのです。
冷凍食品活用の発起人、帝国ホテル総料理長 村上信夫シェフ
東京オリンピックの食糧事情を冷凍食品で解決するために立ち上がったのは、 当時、帝国ホテル総料理長を務めていた村上信夫シェフでした。 オリンピックで提供される食品試食会で、生鮮品と冷凍食品を比べてみたところ、どちらも美味しい!と当時オリンピック担当大臣だった佐藤栄作さんに評価され、冷凍食品がプロの食の現場ではじめて認められました。
現ニチレイ(当時 日本冷蔵)の協力
冷凍食品が認められるまでの背景には、現在のニチレイ(旧 日本冷蔵)の活躍がありました。 当時は冷蔵庫の普及はおろか、冷凍庫すらもまだまだ普及していない時代でした。 粗悪な環境で冷凍食品が出回ったことが原因で冷凍食品に対しての印象が悪かったのですが、ニチレイは冷凍車を使い、品質を保ちながら食材を選手村に納めていました。
村上信夫シェフ自伝「帝国ホテル厨房物語」
村上信夫シェフの自伝「帝国ホテル厨房物語」でも、当時の状況について語られています。
本格的な冷凍設備は無く、食品の保存に関する技術研究も立ち遅れていた。 冷凍食品は大量調理の大きな武器になると注目されていた。 ホテル業界にとって東京オリンピックはその実践の場として大きな意味を持っていたのである。 (村上信夫 著 「帝国ホテル厨房物語」より引用)
このことからも、冷凍食品を活用して大量調理を行うには課題も多く、新しい挑戦だったことが伺えます。
多くのシェフが均一の味を提供できるようマニュアルを作成したり、ニチレイとの共同作業で超大型の冷凍庫を導入するなど、村上シェフの活躍が冷凍食品の発展のきっかけとなったのです。
東京オリンピックをきっかけに、冷凍庫が普及。後に村上シェフの講演では『冷凍食品が無ければ、オリンピックの成功はなかったんだ』と明言されています。
その後の外食産業における冷凍食品の礎となった
冷凍食品が使われていなかった時代にテストを重ね、美味しく大量に同じ品質で提供したことで、現在の外食産業における冷凍食品の礎となりました。 その後も学校給食やホテル、レストランなどでも冷凍が活躍し、さらには今のセントラルキッチン(=食材を集中して、処理した食材を統一加工する)にも繋がっていったと言われています。
今では当たり前になっている冷凍食品ですが、食のプロたちの苦労と努力があったからこそ普及していき、2020東京オリンピック 選手村での食事提供にも活かされていたんですね。
今の日本の食品業界を支えている冷凍が、今後さらに発展していくことが楽しみです。
今回ご出演いただいた山本順子さん、ご協力いただきどうもありがとうございました。
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